
1967年 埼玉県越谷市生まれ。
両親は、宮城県出身。「遊佐」の姓は、宮城県、山形県に多いで~す!
白寿堂メディカルグループ(現在9店舗)総院長。
15歳で東洋医学の道へ進むことを志す。
1989年 東京医療専門学校 |
本科(鍼灸マッサージ科)卒業。 鍼灸教員養成科卒業。 柔道整復科卒業。 |
1991年 中国北京へ留学
清華大学・北京語言大学を経て北京中医薬大学にて3年間中国医学を学ぶ。
留学中に北京鍼灸学会会長、中国鍼灸学会副会長、中国の人間国宝、老中医「賀普仁老師」に師事する。
帰国後、経絡治療を著明な各先生に学ぶとともに、筑波大学理療科教員養成施設にて現代医学的鍼灸を学ぶ。 その後埼玉の本院を中心に亀有・赤坂・広尾・青山・蒲田など店舗を立ち上げ、治療院経営並びに施術にあたる。
1994年 北京中医薬大学進修生過程修了
1997年 筑波大学理療科教員養成施設臨床研修生修了
2003年 介護支援専門員(ケアーマネージャー)取得後、事業所を開設。
指定居宅介護支援事業所白寿堂・白寿堂デイサービスセンターを開設。
また、東洋医学・自然医学・快医学・光と色の医学などさまざまな治療法を統合した独自の治療法を確立し、 患者様にとって心地よい方向への治療・指導を行っている。
現在もさまざまなセミナーに参加して学びを深めている。
医薬品の登録販売者の資格も取得、和漢薬・漢方薬・薬草茶・栄養強化食品の取り扱いも行っています。
2011年 医薬品登録販売者取得
年数回、医学の基礎「解剖学」を学び深める為に、千葉大学医学部にて解剖実習を行って体の構造を詳しく学んでいます。


1967年11月28日(射手座・B型)越谷に生まれました!
生まれながらにして食は細かったようです。
泣いていても、お風呂に入るとすぐに泣き止む子供のようでした。
今でも温泉や入浴は、大好きです。
何故だか帽子嫌いで被せるとすぐに投げ捨てていたみたいですね。
お陰様で元気に育ちました!!
幼稚園嫌いだった記憶がありますね~!
幼くして学校嫌いだったようですね。
お遊戯会などイベントは、大嫌い!両親が見に来ても
「見ないで・・・あっち行って・・・」みたいな子供でしたね。
たまに、お漏らしして帰ってきた記憶もありますね(笑)
越谷市立蒲生小学校、6年生の時に新設の明正小学校へ。
小学校低学年の時は、勉強が嫌いでしたね。
その代り、体を動かすのと図工が得意で好きでした。
体育と図工以外の成績は・・・・・でしたね!
体育と図工は4か5それ以外は2か3だったような。
ハードルで小学校代表に選出されたこともありましたね~!
学校が終わると同級生と遊ぶか近所の友達と思いっきり遊んでいました。
夜は疲れてすぐに寝てしまうものだから、当然勉強できないよね~!
でも、なぜか小学校5年生ぐらいから勉強に目覚めました!
基礎がないので成績はすぐにあがらなかったですが、革命ですね(笑)
勉強より嫌いなものがありましたね・・・それは、給食!!
恐い先生だと給食を残すと居残りみたいな感じで最も嫌いだったのは、給食でしたね。
「人間は何で食べないとならないのだろう?」とまで思っていましたね。
食に関しては関心ゼロ0でした。
そんな、やつが今、食に関してうるさいとは・・・
その時には、まったくもって、考えられないことでしたね!
中学校 |
~穏やかな日々ながら様々な事に興味が芽生えた始めた~ |
越谷市立光陽中学校
運動神経を活かし陸上部とサッカー部に所属していました。
小学校の時は、野球・バトミントンなんでも得意でしたが、中学に入るとみんな専門の部活に入るので専門分野はどんどん抜かされていった記憶がありますね。
小中学校は、ケンカも得意?だったので、ボクシング・空手など武道に興味を持つようになる。
勉強は、中ぐらいでしたね。
中学3年間は、学校のマドンナとお付き合いさせていただいたので充実?した学校生活でしたかね~。(笑!)
高等学校 |
~そして、自分自身の将来像が見えて来た時代~ |
埼玉県立越谷南高校
家から一番近い高校へ入学。自転車で田んぼの中を通学する。
今は有名になった越谷レイクタウンがあるところです。
やっぱり、学校という所は、どうも好きになれなかったですね。
でも、今でも付き合いのある友人複数と出会い、それなりに充実した高校生活を過ごす。
高校一年生から日曜日のたびに電車で中国武術を習いに東京まで通って夢中で練習に明け暮れていたときでした!
高校3年間は、中国武術で充実していましたね。
そこで、運命の師匠と出会うことになり、その後の「鍼灸という道」に進むきっかけとなる。
その師匠は、ドクターで古武術の宗家・中国武術の草分け的な先生で教えの中で、医学的な話や東洋哲学・東洋医学の話をしてくださりそれが、僕の何かを刺激してこの道に進むことになりましたね。
武術は、その後さまざまな流派を20年ぐらいやりました!
専門学校 |
~とにかく一流の治療家になることを夢見て~ |
高校を卒業して、まず東京医療専門学校へ入学する。
15歳ぐらいから目指していた念願の鍼灸マッサージの学校だ。
勉強は、しっかりしましたので成績もそこそこ優良でしたね!
本科(鍼灸マッサージ)にて3年間学び卒業後、鍼灸教員養成科(2年間)で鍼灸の教員免許を取得する。
と共に臨床を一流の先生方に学びました。
もともと、僕は、技術に関しては一流にこだわる性格なのでいつも良い先生はいないかな~と探していましたね。
その頃、鍼がブームでNEWSやTV番組などでも中国鍼の名人の映像が流れていました。鍼麻酔手術や脳梗塞で寝たきりの人を鍼で歩かせるなど、ますます 一流の先生の技を身に着けたいと思うようになったころですね!
本場の鍼灸を究めようと、中国へ約3年間留学する。
鍼灸教員養成科を卒業後、北京中医薬大学へ入学するために、まず、中国語を清華大学にて学ぶ。
そこで、旅行好きな友達の影響をうけ一人旅、世界60ヵ国以上も行く羽目になります。
話は、もとに戻りますが、それから中国医学の専門用語を学ぶため北京語言大学へ入学する。
その後、念願の北京中医薬大学にて中国医学鍼灸を学ぶことになりました。ついていたのは、武術の師匠の紹介で北京の武術の達人を紹介してもらい、その達人から当時北京の鍼灸学会会長、中国鍼灸学会副会長を紹介してもらったことです。
国宝級の鍼の達人を留学中の3年間まじかで見せて頂いたことは、幸運でした!
話を旅行に戻しますが、基本僕は、出不精です。
しかし、一度出ると鉄砲玉的な性格もあるようでなかなか帰ってきません。留学中は、夏休み・冬休み日本に戻らず世界中を旅していましたね。自分では、行動的だと思いませんが、人からは、「意外と行動的ですね!」と言われます。
帰国後就職 |
~一流の日本鍼師を目指して、修行時代~ |
日本の一流の鍼師のもとで修行する。芸能人も結構来ていましたね。
その後もいろいろなところでいろいろな手法を学ばせて頂きました。
北京の清華大学は、理工系の東大クラスの大学で学生を見ているとものすごく、ものすごく勉強しているな~と思いました。
日本の大学生とは雲泥の差があるな~と思いますね。
北京語言大学は、中国語を学ぶために来る世界中の人と友達になれましたね。
アフリカ人・中東・アメリカ人・ヨーロッパ人・アジア人いろいろいて共通言語は、もちろん中国語、当然授業も全部中国語、当時は、中国語で夢を見ていたこともありますね。
帰国後は、現代医学的鍼灸を学ぶために筑波大学理療科教員養成施設に通い現代医学からの鍼灸アプローチを学びました。
筑波大学では、スポーツ系医学の先生に師事することになり、スポーツの怪我に対しての処置など臨床を通していろいろと学ばせて頂きました。そして、整骨院の資格を取るために、また柔道整復師の学校へ入学しました。
あれだけ、学校嫌いだったのに高校卒業してから10数年間学生時代を過ごすとは考えられないことですね~!!
さまざまな所で、様々な方法を学んで、29歳で白寿堂鍼療所・整骨院を開業する。
18歳から鍼灸の学校に入学してからもう、約30年。
月日の過ぎるのは、本当に早いですね~!
開業後も多くの先生方にいろいろな方法を学ばせて頂き本当に役に立ちました。
快医学の瓜生先生には、「東洋の医療が癌に対して有効」だということを学んだのは、大きかったと思います。
今の専門は、「東洋医学の痛み対策」と「東洋医学のガン対策」です。痛みに苦しむ方々の力に少しでも貢献できたら、僕は幸せですね~!!
御縁のあった方々だけ、丁寧に施術させて頂きます。
